ユーイング肉腫

ユーイング肉腫について、原典を通して知るためのブログ

第三の選択肢 化学療法

毒がもたらした光の兆し

1967年、アメリカ、ニューヨーク。Dr. PhillipsとDr. Higinbothamによる臨床報告です。"The curability of Ewing's endothelioma of bone in children."(小児におけるユーイングの骨性内皮腫の治癒可能性)。1949年から1959年の間、メモリアルホスピタル骨外科に、登録され、治療を受けたユーイング肉腫患者の情報を整理していた著者らは、驚くべき事実に気がつきます。この10年間で登録された54名の患者の内、13名が5年を超えて存命していたのです。当時、ユーイング肉腫患者の5年生存率は10%以下と報告されていたので、これは予期されていなかった予後の改善です。

本報告の中に、各患者の転移発生時期が記録されており、54名の患者の内、10名は診断時に転移が認められていました。転移発生時期が記録されていた他の42名の患者の内、診断後一年目に28名で、二年目に6名で、三年目と、四年目にそれぞれ4名で、転移が確認されており、四年目以降に転移が認められた症例はなかったと報告しています。診断後12ヶ月のうちに、52%の患者で遠隔転移が発生していたという事実から、著者は、断肢という浸襲性の極めて高い治療は適用されるべきではない(ギャンブルである)と指摘しています。つまり、ユーイング肉腫は転移性の極めて高い腫瘍で、全身的に治療ができない以上、局所治療は侵襲性のより低い、放射線療法を選択すべきだという見解です。実際、1949年から1959年の間、治療の第一選択肢は放射線療法であって、予後の改善には、照射野の拡大や照射強度を高めるといった放射線療法の発展が大きく寄与していると、著者は考察しています。

さて、注目すべき点ですが、1949年から1959年の間、既に化学療法が開始され、大部分のユーイング肉腫患者に投与されていたようです。但し、投与プロトコルが規定されておらず、化学療法の効果がどの程度予期されていたのかは不明です。この中には、ナイトロジェンマスタード、コーリーの毒(コーリーの毒は化学療法剤には含まれませんが)、アクチノマイシンD、トリエチレンメラミンが含まれています。著者は、化学療法の併用が、ユーイング肉腫患者の予後の改善に寄与したと信じるが、この期間、化学療法剤は一定の投与プロトコルに基づいて投与されていなかったので、化学療法併用の治療価値について明確なことは言えない、としています。

興味深いことに、この報告の段階で、腫瘍の遠隔転移が確認されていた2名の患者で、それぞれ16年間と9年間、完全寛解、無転移の状態が維持されているという記述があります。既に遠隔転移が存在していたことを考慮すると、この事実は放射線療法の改善のみでは説明できないように思われますが、著者の考察通り、化学療法の効果について結論を下すには、更なる検証が必要のようです。

また、本報告で見落とすことができない点として、以前と比較して予後の改善が認められたものの、1949年から1959年の10年間では、54名のユーイング肉腫患者の内、35名は二年以内に亡くなっていたという厳しい事実が明示されています。

翌、1968年、アメリカ、メンフィス。Drs. Hustu, Holton, James, Pinkelによる、わずか3ページですが、とてもインパクトのある短報です。"Treatment of Ewing's sarcoma with concurrent radiotherapy and chemotherapy."(放射線と化学療法併用によるユーイングの肉腫の治療)。先のDr. PhillipsとDr. Higinbothamによる報告を受け、彼らが報告した患者の多くは、メクロレタミン(ナイトロジェンマスタード)を含む化学療法を受けており、化学療法の併用が、ユーイング肉腫患者の予後改善に寄与した可能性があると、著者らは化学療法併用の持つ可能性について指摘します。

本報告の冒頭部で、1960年初頭から、ビンクリスチン、シクロフォスファミドによる抗腫瘍効果が報告されはじめたことが見て取れます。また、放射線と化学療法の併用を行う合理性として、放射線による局所的抗腫瘍効果に化学療法剤が相加作用を示す可能性、診断時には腫瘍細胞が既に遠隔に播種しているだろうという仮説、遠隔転移が発生するリスクは、診断後一年目に最も高いという事実を挙げています。

注目すべきは、これまでの外科的または放射線療法では、治療できる範囲が原発腫瘍という局所に限定されていたものの、化学療法の登場により、治療効果を全体に作用させられる可能性が出てきたことでしょう。以前は治療する術のなかった、微小な転移巣や血液中に存在する可能性のある腫瘍細胞も治療ターゲットに入ったことを示す、腫瘍治療における偉大な一歩と言えるかもしれません。

著者らは過去三年間で、5名のユーイング肉腫患者に、放射線療法、ビンクリスチンとシクロフォスファミドを用いた化学療法を併用した治療を行いました。結果、報告の段階で、全患者で腫瘍の完全寛解、無転移状態を12から38ヶ月間維持できており、本治療の有効性を判断するには時期早尚であるのは承知の上で、適用を拡大すべきだと主張しています。

この治療結果は確かに目覚ましいものであり、著者らの主張にも頷くことができます。事実、ビンクリスチンとシクロフォスファミドは、他の腫瘍も含め、現在のユーインング肉腫治療においても現役であり、その有効性が1960年代後半で明らかにされつつあったということです。

これら二本の報告から、腫瘍治療において、外科的療法、放射線療法といった局所療法の確立後に、化学療法という全身療法が可能になったこと、また、これは感じ方にも依りますが、化学療法の歴史が意外と浅いことが分かります。ユーイング肉腫に対する化学療法に使用される主な薬剤は、現在では更に拡大され、前述のビンクリスチン、シクロフォスファミドに加え、ドキソルビシン、イホスファミド、エトポシドが挙げられます。外科的療法、放射線療法といった局所療法に、これら多剤化学療法を加えた集学的治療による、ユーイング肉腫患者の近年の5年生存率は、限局性腫瘍の場合、およそ70%まで上昇していると報告されています。

これら二本の報告とユーイング肉腫に対する現在の治療法を鑑みると、化学療法の導入が、ユーイング肉腫治療において多大な成果をもたらしたことに間違いはありません。しかし、一方で、化学療法には決して軽視することのできない副作用を伴うことも事実です。今回紹介した二番目の報告においても、副作用として、白血球減少症、末梢神経症が言及されています。

医学の父、ヒポクラテスは、患者に害を及ぼす治療を禁じていますが、現代の医療技術では、患者に害を与えずに腫瘍の治療を行うことは、残念ながら不可能です。

20世紀、腫瘍の全身療法を可能にした化学療法。副作用を極力伴わないと同時に、抗腫瘍効果のある全身療法の開発は、ヒポクラテスから与えられた、21世紀を迎えた医学・医療への試練と言えるかもしれません。

 

R. F. Phillips, N. L. Higinbotham

"The curability of Ewing's endothelioma of bone inchildren."

The Journal of Pediatrcs. 1967 Mar;70(3):391-7.

 

H. O. Hustu, C. Holton, D. James Jr, D. Pinkel

"Treatment of Ewing's sarcoma with concurrent radiotherapy and chemotherapy."

The Journal of Pediatrcs. 1968 Aug;73(2):249-51.

 

 

 

ユーイング肉腫はマゼンタ色に染まる

ユーイング肉腫は砂糖好き?

病理学的腫瘍診断で、光学顕微鏡を用いた、腫瘍組織と細胞の形態観察が主流であった時代、病理医には、職人的観察眼と鋭敏な「みる」センスが求められたものと想像されます。この形態観察は、現代でも病理学的腫瘍診断の基礎となるものですが、本手法のみでは、腫瘍を鑑別するには限界があることも見えてきました。Dr. Willisによる、剖検なしでユーイング肉腫を確定診断することはできない、つまり、患者が亡くなってからでないとユーイング肉腫だと確かに診断することができない、という指摘は、正に当時におけるユーイング肉腫診断の困難さを物語っています。

1959年、アルゼンチン、ブエノスアイレス。Dr. Schajowiczによる報告です。"Ewing's Sarcoma and Reticulum-Cell Sarcoma of Bone WITH SPECIAL REFERENCE TO THE HISTOCHEMICAL DEMONSTRATION OF GLYCOGEN AS AN AID TO DIFFERENCIAL DIAGNOSIS" (ユーイングの肉腫と骨の細網細胞肉腫、特に鑑別診断補助としての組織化学的グリコーゲン証明に関連して)

細網細胞肉腫は、前回紹介の論文でも、ユーイング肉腫と鑑別が必要な腫瘍の中で、その名は登場していました。本論文では、冒頭で、細網細胞肉腫は、Parker とJacksonによって、臨床的、病理学的にユーイング肉腫とは異なる腫瘍であると指摘されたものの、当時の多くの病理医にとって、両者の鑑別は困難であること、細網細胞肉腫の予後が、ユーイング肉腫や他の骨性肉腫よりも良好であることから、両者の鑑別が、学問的以上に、臨床的に重要であると述べられています。細網細胞肉腫は、現代では明確にリンパ腫に分類されますが、腫瘍細胞の形態が、両者共に円形であるために、骨に発生した場合、形態学的に鑑別することは、当時では困難だったようです。

さて、本論文の結果と結論は、非常に明快です。McManusまたはHotchkissによる手法で、組織化学的に腫瘍細胞中のグリコーゲンの存在を調べると、調査されたユーイング肉腫8例では、細胞質に豊富なグリコーゲン顆粒が認められる一方、9例の細網細胞肉腫では、どの症例もグリコーゲン陰性だった、という結果です。そして、組織化学的グリコーゲン証明により、ユーイング肉腫と骨の細網細胞肉腫を簡易かつ効率的に鑑別することができるので、是非、本手法の使用を検討するべきである、という結論です。これまで、何時間も顕微鏡を覗き、一体どの腫瘍なのかと眠れぬ夜を過ごしていた病理医にとっては、本論文は衝撃だったに違いありません。

このMcManusとHotchkissによるグリコーゲン証明法は、現在ではPAS染色と名前を替え、実際にユーイング肉腫診断にも使用されている手法です。グリコーゲンは、グルコースを鎖の様に連ねたもので、言わば、糖の塊と言えます。本手法は、グルコース残基がアルデヒドに変化し、それがシッフ試薬と反応することで発色されるという原理なので、グリコーゲン以外にも、グルコース残基をもつ糖タンパク質や糖脂質も陽性となります。従って、PAS染色陽性、即ちユーイング肉腫であると言うわけではありません。因に、本論文に掲載されている写真は、白黒なので見て取ることはできませんが、PAS染色陽性例は、鮮やかなピンク、マゼンタまたは紫色の色調を呈します。

ユーイング肉腫の腫瘍細胞に豊富なグリコーゲンが存在する点ですが、これは腫瘍生物学的に、新たな疑問を投げかけます。グリコーゲンは自動的に、あるいは二次的に貯蔵されているだけなのか、それとも能動的機構により腫瘍細胞がグリコーゲンを貯蔵し利用しているのか。非常に興味深い所です。

さて、本論文はとても簡潔ですが、実は病理学におけるパラダイム転換と言って良い程の大転換を描出しています。つまり、形態学的観察から組織化学的手法の活用という転換です。この二つの手法は相反するものではなく、タンデムとして成立するものですので、形態学的観察が、組織化学的手法により駆逐されたという意味ではありません。病理学に組織化学的手法が導入されることにより、Dr. Schajowiczの主張通り、腫瘍診断が簡易、効率的に、更には正確かつ詳細に行うことが可能になるのです。

 

F. SCHAJOWICZ

"Ewing's sarcoma and reticulum-cell sarcoma of bone; with special
reference to the histochemical demonstration of glycogen as an aid to
differential diagnosis."

The Journal of Bone and Joint Surgery. 1959 Mar;41-A(2):349-56 passim.

ユーイングの肉腫 再考

ユーイング肉腫は存在するが、

Dr. Willisらによって疑わしいとされたユーイング肉腫の実在。彼らの主張によれば、それまでユーイング肉腫と(臨床的に)診断されてきた腫瘍は、実は既に知られている別種の腫瘍が転移したものであり、Dr. Ewingにより提唱された、骨に発生する新しいタイプの肉腫は、腫瘍本体とは言えないのではないか。むしろ腫瘍に付随する症状、つまり「ユーイング症候群」と見なされるべきものであろう、というものでした。

さて、1947年、アメリカ、ニューヨーク。Dr. LichtensteinとDr. Jaffeによる共著です。"EWING'S SARCOMA OF BONE"(骨のユーイングの肉腫)。とてもシンプルなタイトルですが、本論文から、当時の医学界でのユーイング肉腫の受容のされ方、Dr. Willisらの批判がどのように咀嚼され、ユーイング肉腫研究を進展させたのかを垣間見ることができます。また、個人的に感じる所ではありますが、本論文から、とても冷静に問題に取り組んでいる著者らの姿が感じられます。

冒頭では、Dr. Willisのものも含め、ユーイング肉腫を腫瘍本体とみなす事に対する批判的意見(ユーイング肉腫診断の根拠の一つとされるレントゲン像は、果たしてユーイング肉腫に特徴的と言えるのか?剖検による系統的な研究がなされていないので、腫瘍生物学的にユーイング肉腫が、他の腫瘍と異なると言えるのか不明である。)が要約されています。

続いて、ユーイング肉腫の組織像に関し、著者らの知見を基にすると、原発性でも転移性腫瘍でも、Dr. Ewingによる記述よりも、Dr. Oberlingらによる描写の方が、著者らの観察結果に近いと述べ、Dr. Ewingの主張と距離を置いています。

また、ユーイング肉腫の組織起源に関しても、様々な意見が飛び交っていた様子が見て取れます。例えば、Dr. Oberlingの唱える骨髄間葉系支持細胞起源ですが、彼の腫瘍組織の観察結果から、ユーイング肉腫が、血管またはリンパ管内皮細胞にも、血液細胞やリンパ球に分化できる血球芽細胞(現代で言う所の骨髄造血系細胞でしょう)にも分化できると考えていた様です。興味深い所ですが、これに対し、Dr. Ewingは、ユーイング肉腫の腫瘍細胞が分化できても、血管系のみであり、Dr. Oberlingが主張する程、広範な分化機能は有さない、としています。一方、著者らは、自らの観察結果を基にし、Dr. Oberlingの主張する様な、腫瘍細胞の広範な分化機能を確認することができないので、この点は意見が異なるものの、Dr. Oberlingの提示する、原始結合組織、特に骨髄の間葉系支持細胞が、ユーイング肉腫の組織起源であろうと言う意見を支持しています。但し、この意見はもともと、Dr. Stoutが主張していたもののようです。

これまでに発表されてきたユーイング肉腫に関する報告を俯瞰し、「ユーイングの肉腫」の実在性や、当時、活発に議論されていたユーイング肉腫の組織起源を含め、Dr. Ewingによる本腫瘍の組織学的記述までも率直に批判することで、本論文は、Dr. Ewingによる「骨の内皮腫」に関する発表以来、最も大々的なユーイング肉腫研究の再考であると言ってよいでしょう。

さて本論ですが、著者らは、過去20年間でユーイング肉腫と診断された27症例を、冒頭で展開された批判点を念頭に再度精査し、ユーイング肉腫と確定できる(と考えられる)症例の臨床学的記述、レントゲンによる画像所見、組織学的所見が、全症例の特徴を捉える形で詳述されています。注目すべきは、Dr. Willisの批判を受け、詳細な剖検を4件含んでいることです。著者らは、鑑別診断として、肺や消化管、乳がんや精巣上皮がん等、上皮性腫瘍(癌)の可能性を排除した上で、核心部とも言える、Dr. Willisの批判に切り込みます、

交感神経芽細胞腫は、骨転移の傾向が強いのみならず、細胞形態がユーイングの肉腫に類似しており混同しやすいので、ユーイングの肉腫診断の際には、常に排除されなければならない。この点は、Willisにより正しく強調されているが、彼は、ユーイングの肉腫の実在性を完全に拒んでおり、ユーイングの肉腫と疑われる症例を全て、神経芽腫の転移だと解釈している点で誤っている。仮にそう(転移性神経芽腫の可能性がある)だとしても、我々の4例の剖検所見では、副腎には腫瘍の存在や他の異状性は見出されず、我々が個人的に剖検した2例では、副腎周囲や椎骨に沿った交感神経線維まで広範に精査したが、交感神経芽細胞腫の存在は確認できなかった。

 として、Dr. Willisによる、ユーイングの肉腫即ち転移性神経芽腫という主張を明白に覆しています。 

続いて、顕微鏡所見ですが、この中で、ユーイング肉腫診断において、当時、ある「習慣」が流布していたことが分かります、

 「ユーイングの肉腫」と診断を下すことは、骨に生じた不可解な悪性腫瘍に遭遇した際の、単なる逃げ場として、よく使われるようになってきている。ユーイングの肉腫の解剖学的(現代的には病理学的でしょうか)概念が規定されない限り、この診断名はかなり漠然と適用され、何となくよりましな意見として、自動的に採用されるものになってしまうだろう。

このことは、我々の過去20年に渡る、ユーイングの肉腫と題された27症例全ての標本を再調査して痛感された。その中には、組織標本の質が極めて不良で、今ではその標本のみで、ユーイングの肉腫と診断することがためらわれるものもあった。

また、再調査によって、我々が下したユーイングの肉腫という診断が誤りであると明らかになったケースも何例かあった。それらは実際には、骨髄腫、リンパ腫、転移性未分化型上皮性腫瘍、転移性神経芽腫であった。

使用可能な腫瘍組織の質が不良、または量が不足である症例、明らかな誤診であった症例を除くと、ユーイング肉腫症例17件が残り、この17症例を基に、本論文が書かれている。

ユーイング肉腫診断の基準が明確化されていなかった以上、医師の間で、ユーイング肉腫診断に、混乱が生じていたことはやむを得ないことではありますが、彼らが再調査した症例の中でも、組織標本の量・質不足を含め、実に10例に不備、誤診があったことには驚きです。著者らが指摘している通り、当時の医学界で、良く分からない骨腫瘍=ユーイング肉腫、という安易な判断に陥ってしまう構図ができあがりつつあり、このままではいけないと、注意喚起しています。

次に細胞形態についての彼らの観察ですが、

腫瘍細胞は、明瞭に分断された細胞境界に欠き、核は密集し、かなり均一である。また、核は円形か卵円形で、リンパ球核の二倍程。繊細に分かれた、または粉状のクロマチン、しばしば、一個か複数の核小体。

一方で、Dr. Ewingによると、腫瘍細胞は、多角性の小細胞、淡明な細胞質、濃染性小型核、明瞭な細胞境界、と記述されており、特に、核と細胞境界に関する記述に相違が見られます。著者らの詳細な観察によると、腫瘍組織の中には、変性や壊死といった二次性変化を伴った領域が存在するので、腫瘍に特徴的な病巣部を、注意深く観察し記述しなければならない。Dr. Ewingによる腫瘍組織の記述は、おおよそ、この二次性変化が生じた腫瘍部位の描写に近い、と述べています。驚くべきことに、Dr. Ewingの描写した腫瘍細胞が、実は変性や壊死した腫瘍細胞を記述したものだと指摘しています。

更に、Dr. Ewingの記述する腫瘍細胞の血管周囲配置について、

もし、出血巣にある腫瘍組織が壊死していなければ、血管が腫瘍細胞に取り囲まれていることが分かる。しかし血管腔は腫瘍細胞には覆われておらず、血管壁に特徴的な組織が、別に存在する。

血管周囲配置のように見える構造は、出血巣に関連してみられるものであり、腫瘍細胞が血管内皮細胞に分化し、血管腔を形成しているのではないか、というDr. Ewingの主張を否定するものです。この辺りの記述は、vascular mimicry(血管擬態)の関連性から見ると、非常に興味深くはあります。

著者らは本文で、ユーイング肉腫との鑑別診断における問題で、他の腫瘍を例に挙げていますが、ここでは神経芽腫に目を向け、ユーイングの肉腫に関連する、骨性転移を伴う神経芽腫の問題、を見てみます、

ColvilleとWillisによる1933年の最初の報告以前は、骨のユーイングの肉腫と考えられる症例で、神経芽腫の骨性転移である可能性を排除すべきであるという点が適切に強調されていなかったようである。

実際は転移性神経芽腫である骨病変を生検のみで判断してはならないという点で、Willisが正しかったことに疑いは生じ得ない。

と、Dr. Willisの批判が適切であったこと、注意深い剖検無しでは、転移性神経芽腫かユーイングの肉腫かを確定診断することはできないという彼の主張に同調すると述べた上で、

生検をもとに診断された我々の13例に関し、全症例に渡る細胞タイプの均一性と4例の剖検で見られた細胞タイプの類似性からすると、全ての症例を転移性神経芽腫として扱うことはできなかっただろうと推測することには、合理性があると確信する。この推測は、もし以下の事柄を心に留めれば、より一層正当的に見える:全ての症例で、神経芽腫に古典的に見られるロゼットが見られなかった。もし、神経芽腫の転移であったとするならば、原発巣はもっとおとなしかったはずであるし、全病変の細胞は成熟(分化のことでしょう)、しかも神経芽細胞レベルにのみ成熟していた筈である。一例を除く全ての患者は8歳を超えていたが、大多数の神経芽腫の患者は、この年齢以下で見られる。

と、Dr. Willisの人柄を知ってか知らずか、何とも遠い言い回しを使って、やんわりとDr. Willisの主張を否定しています。

最後に、個人的には、どことなく判決文のように見えますが、要約と結論(ブログ本文中で触れていない部分もあります)、

 本研究は(17症例に基づき、その内の4例は剖検に供された)骨に生じる原発性悪性腫瘍で、Ewingにより見出され、(ユーイングの肉腫と呼ばれている)腫瘍本体の存在を支持するものであり、これはEwingの先駆的努力によるものなので、本腫瘍には、ユーイングの肉腫が適用されるべきである。

Dr. Willisの主張を退け、やはり、ユーイング肉腫は一腫瘍として見なされるものであり、名称もDr. Ewingの功績により、ユーイングの肉腫と呼ばれるべきある、と主張は明確です。

骨原発の特異的悪性腫瘍であること、腫瘍細胞が骨形成能を示さないという事実を超えて、その組織由来に関して、学ぶべきことが未だに多い。我々のサンプルを用いた細胞形態学的研究では、Ewingの、腫瘍細胞が毛細管または血管(または血管周囲)の内皮に由来する、という主張を支持しない。

血管が高度に侵入した腫瘍組織では、特に出血の結果、頻繁に毛細管腔またはより太い血管腔に、いわゆる血管周囲配置する腫瘍細胞が見られるが、これは、ユーイングの肉腫に特異的細胞学的特徴ではない。また、時折(血管周囲ではないが)腫瘍細胞が輪状様配置をすることがあるが、これは、中心に位置する細胞の変性によるもので、その影を認知することができる。そのような配置は、神経芽腫のロゼット又は偽ロゼット形成と共通するものは全くない。

我々の考えは、ユーイング肉腫細胞が骨髄の支持骨格(細網組織)から由来するという、Oberlingのものに近い。その支持骨格は、間葉系または原初的な結合組織と考えられる。Ewingは、腫瘍細胞を多角性の小型細胞、淡明の細胞質、濃染性小型核、明瞭な細胞境界を持つと記述した。しかし、新鮮で良好に固定、染色された腫瘍組織を用いて明らかにされたように、細胞の典型像は、実際には、細胞間境界不明瞭で、腫瘍細胞には、細胞質がほとんどなく、かなり大型な、円形または卵円形核と繊細に分かれたクロマチンを持つことが見出された。それでも、生検標本からユーイングの肉腫の診断を下すことは、たとえ、標本が外科的切開から得られたものでも、腫瘍組織に生じた二次変化により、時には難しいものである。腫瘍特徴的な構造を示す細胞領域は、時には何度も切片を作製し調べられた後に初めて分かるものである。

この辺りは、Dr. Ewingの記述や主張と決定的に異なるもので、現代のユーイング肉腫像により近いものです。

生検によるユーイング肉腫の診断は、転移性神経芽腫または未分化上皮性腫瘍の可能性を考慮せずに、なされるべきではない。そのような別の可能性として、骨原発性細網細胞性肉腫、ホジキン病、悪性リンパ腫、更には骨髄腫を消去しなければならない。もし、ユーイングの肉腫が疑われる患者において、リンパ節腫大が触知される場合(病変骨近辺、または他の部位)、これらも他腫瘍の可能性を考慮して、解剖学的に検査されるべきである。少なくてもユーイングの肉腫の初期においては、リンパ節が侵されていることは普通はない。

臨床学的側面では、我々の症例では、大多数の患者が二十代であることが分かった。臨床歴からすると、外傷が要因となって腫瘍を引き起こすわけではなさそうである。大多数の症例では、胴体部の骨に腫瘍病変が存在していた。腫瘍骨病変に、診断的に価値のある、典型的ではないが、腫瘍特徴的なレントゲン像が見られるという考えを支持する証拠を見つけることはできなかった。

ユーイングの肉腫の予後は、陰鬱なもので、我々の症例では、17名のうち1名のみが存命であり、この1名は経過観察開始からわずか5ヶ月間しか経っていない。発熱、二次性貧血、血液沈降速度の増加は、病気の進行が劇的であることを明示しており、数ヶ月内に死に至る。放射線治療は、しばらくの間、顕著な局所的な緩和効果をもたらすが、単独では、最終的問題(患者の生命)に関する限り、ほとんど希望をもたらすことはない。放射線治療と外科の併用療法は、良好な症例では、より有望であろうが、その効果を明確に示す、十分な臨床試験はまだ行われていない。

臨床学的記述には、Dr. Ewingによるものと大きな違いはありません。化学療法が行われていなかった当時の医療では、放射線治療や外科的切除といった局所治療が、主な治療法であり、予後も現代とは比較にならないものだったようです。

Dr. Willisらの批判により、再考されることとなったユーイングの肉腫。Dr. LichtensteinとDr. Jaffeによる、彼らの経験した症例の詳細な観察とDr. Ewingの記述や考えに対する鋭い批判により、ユーイング肉腫の特徴が、おぼろげながら再構成されてきたようです。

光学顕微鏡による腫瘍組織の観察のみで、腫瘍診断の体系を作り上げてきた先達には全く頭が上がりません。しかし、ユーイング肉腫診断において、光学顕微鏡による観察に限界があることも、本論文を通して良く見て取れます。より詳細に腫瘍細胞を観察、鑑別するために、今後、様々な手法が確立されて行くことになるのです。

 

 L. Lichtenstein and J. L. Jaffe

"EWING'S SARCOMA OF BONE"

The American Journal of Pathology

1947;23(1):43-77.

 

 

 

幻の腫瘍?

ユーイング肉腫は存在しない?

1933年、メルボルン、オーストラリア、ColvilleとDr. Willisによる共著です。"NEUROBLASTOMA METASTASES IN BONES, WITH A CRITISISM OF EWING`S ENDOTHELIOMA"(神経芽腫の骨転移、ユーイングの内皮腫への批判)。この論文、かなり批判的な切り口で記述されており、文面から、憤った筆者の顔が浮かんでくるようです。

冒頭で、Dr. Ewingらの記述による、ユーイング肉腫の特徴がまとめられています、

通常、子供で見られる。手足の短骨、または長骨に生ずる。病気の徴候は、痛みと気力低下、後に患部の腫脹。断続して軽度の発熱が起きることが、ままある。骨髄炎と誤診断されることが多い。組織学的には、大きさ、形態が均一な小型円形細胞が凝集しており、特徴的な構造が見られないため、組織学単独では診断することができない。腫瘍は放射線に高感受性であり、X線照射により腫瘍を縮小または消失させることができる。この放射線高感受性という特徴があれば、ユーイング肉腫の診断は、ほぼ確定的だと捉えられている。二次的に他の骨の部位、多発性に腫瘍は発生し、腫瘍の転移あるいは多発性腫瘍と見なされる。他の骨腫瘍と異なり、ユーイング肉腫では頻繁にリンパ節転移が見られる。

彼らが報告した症例は、大腿骨に生じたユーイング肉腫と臨床診断された8歳の少女です。上述の様なユーイング肉腫の特徴に合致し、X線治療にも良好に反応したものの、1932年11月29日に逝去。詳細な検死を行った結果、肝臓、肺、腎臓、副腎、ほぼ全ての骨で腫瘍が見られる。組織学的所見については、直径10-12 µmの円形細胞、円形で濃染性の胞状核、核には、時折単一の核小体。多数の分裂像が見られ、腫瘍の大部分では特徴的な配置や構造はないが、一部、右側副腎由来の腫瘍組織では、明瞭なロゼット構造がある。ロゼット構造は、やや不明瞭だが、肝転移腫瘍組織でも見られる。神経繊維は見られず、成熟神経細胞への分化も確認されず。

実は副腎に生じた小さな神経芽腫が、骨への多発性転移を生み出し、その内の一つの転移性腫瘍が大腿骨で増大し、ユーイング肉腫と診断されていたのだ、というのが彼らの主張する所です。

彼らの下した、神経芽腫であるという診断根拠は、ロゼット構造を示す副腎腫瘍は神経芽腫の特徴である、と言う所にあります。腫瘍鑑別に必要な特殊染色法が使えなかったこの時代、肉腫の鑑別は非常に困難であったと想像されます。

最初に臨床徴候が見られたのは下肢であり、実際に腫瘍も大腿骨に生じ腫脹していたので、大腿骨の腫瘍が腫瘍本体だと考えるのが通常です。しかし、彼らは、Hutchisonが既に報告していた、神経芽腫が頭骨に発見され、腫瘍の本体は一見、頭骨にあるように見えたが、実は副腎性神経芽腫であったという症例を根拠に、これを否定しています。つまり、サイズに関わらず、原発性腫瘍はあくまでも副腎にあったという主張です。この論文、共著ではありますが、おそらく主張の大半は、Dr. Willisに依るものと推測されます(彼は7年後にも、今度は単独で、別の症例を基に同じ主張を繰り返します)。

彼らが経験した本症例を基に、かなりの確信を持って、ユーイング肉腫の実在性について疑念を呈しています、

他のユーイング肉腫または内皮腫と主張されていた症例が、我々のものに類似した性質がなかったのかどうか、そして、それら全ての症例において、適切な検死解剖が行われていたのか、この様に問うことは正当である。

Ewingの報告においても、Connor、ColeyとColey、Kolodny、CloptonとWomackにおいても、詳細な検死記述が無く、大多数の症例で、診断が臨床的所見と生検結果のみで行われていることは、失望的である。

Ewingにより明確に言及された、唯一の検死報告は、彼の著作 "Neoplastic Diseases" 361ページにあり、この中で、「後腹膜性、リンパ性転移が発見された」と書かれているのは、おそらく注目に値する(神経芽腫を示唆する所見であるため)。352ページに、「骨の内皮腫の診断は、原発性腫瘍を徹底的に追及しても見つからないと分かるまでは、なされるべきではなく、この追及は、時折、検死解剖なしでは完全だと見なされないかもしれない。」と、Ewingは述べている。我々はこの見方に同意するが、Ewingの言明する後半部を次のように読み替える、「この追及は徹底的な検死解剖なしでは完全だと決して見なされてはならない。」

この一連の主張の中で、Dr. Willisの人間性が垣間見えるようです。

そして結論の中で、彼らは更に主張を強め、ユーイング肉腫は確立された腫瘍本体ではなく、むしろ症候群であり(Ewing syndrome)、ユーイング症候群を示す原発性骨腫瘍の存在可能性は否定しないものの、ユーイング症候群を伴った腫瘍の多くは、副腎性神経芽腫が原発であることが判明するに違いない、とまとめています。

起源が不明という点のみならず、その実在性に疑念が持ち上がる程、ユーイング肉腫の本体について、分からないことばかりだった様です。Dr. Willisによる批判には全くたじたじですが、彼の激しい批判が、ユーイング肉腫の研究を前進させることになるのです。

 

 

H. C. Colville and R. A. Willis

"NEUROBLASTOMA METASTASES IN BONES, WITH A CRITISISM OF EWING`S ENDOTHELIOMA"

The American Journal of Pathology

1933;9;421-430

 

 

 

Quis es?

何者か?

さて、元の時代に戻りましょう。Dr. Ewingが、その特異性を指摘した、骨に発生する未分化円形細胞肉腫、骨のびまん性内皮腫、または骨の内皮性骨髄腫、即ちユーイング肉腫ですが、実は彼の最初の報告から現在に至るまで、明らかにされていない謎が存在します。

1932年、シカゴ、Dr. RoomeとDr. Delaneyによる報告です。 "UNDIFFERENTIATED ROUND-CELL SARCOMA OF THE ILIUM (EWING TUMOR) CONTAINING HEMOPOIETIC ELEMENTS"(造血要素を含む、腸骨の未分化円形細胞肉腫、ユーイング腫瘍)。Dr. Ewingによる、骨の未分化円形細胞肉腫についての最初の報告から早十年を経て、その間に何が議論されていたのか、本論文で垣間見ることができます、

ユーイングにより報告された骨の未分化円形細胞肉腫は、びまん性内皮腫の名で、一腫瘍として認知されているが、ユーイング肉腫の起源については、少なからず疑問が残っている。ユーイングと彼の支持者らは、骨髄内皮細胞由来だと考えており(恐らく、血管周囲リンパ性内皮)、その意味で内皮性骨髄腫と呼称している。

KolodnyとOberlingらは、ユーイング肉腫が細網細胞か細網内皮に由来すると考えている。骨髄腫との関連も示唆されており、ユーイングも、腫瘍の組織的構造は骨髄腫に近いと述べている。ConnorとKolodnyは、症例の少数ではあるが、骨髄性細胞や形質細胞が腫瘍組織に見られると述べている。但し、これらの細胞の同定法や腫瘍細胞との関連性には触れられていない。

Dr. RoomeとDr. Delaneyは、これらの報告から、ユーイング肉腫が恐らく造血組織に由来するだろうという仮説を持っていたようです。彼らの観察した、一症例の組織像によると、

典型的なユーイング肉腫細胞像の中に、細胞数で言うところ、およそ10%、造血系幹細胞に類似した細胞(血球芽細胞)が見られる。腫瘍塊の辺縁には、骨髄球、前骨髄球と考えられる細胞が見出され、これらの細胞が、より未分化な細胞の周囲にグループを為している。骨髄の海綿状構造は、変性した腫瘍細胞で満たされており、正常な骨髄は見出されない。

顕微鏡学的観察からの考察なので、決定的なことは言えませんが、この様な組織像から、

造血系の分化細胞が、腫瘍に対する反応によるものなのか、造血によるものなのかを言うのは困難だが、もし後者ならば、それは腫瘍細胞から分化したものなのか、それとも本来の骨髄に由来するものなのか。しかし、腫瘍組織のかなり辺縁で、骨から離れて骨髄性組織が見られることは正常ではないので、本腫瘍はおそらく骨髄性幹細胞腫瘍、血球芽細胞腫(hemocytoblastoma)であろうと考えられる。

と結論付けています。本論文から、Dr. Ewingによる報告以来、ユーイング肉腫が一つの特異的な腫瘍であると言うことは、概ね受け入れられている様子が伝わってきます。一方で、ユーイング肉腫の未分化性が、その起源について様々な憶測を呼び、Dr. RoomeとDr. Delaneyの見解によると、ユーイング肉腫の細胞学的起源が、骨髄性幹細胞にあり、更に、腫瘍内に様々に分化した造血系細胞が見られることを特徴として、血球芽細胞腫(hemocytoblastoma)であろうと推察しています。

ユーイング肉腫の起源追究は、まだまだ白熱して行くことになります。

 

 N. W. Roome and P. A. Delaney

"UNDIFFERENTIATED ROUND-CELL SARCOMA OF THE ILIUM (EWING TUMOR) CONTAINING HEMOPOIETIC ELEMENTS "

The American Journal of Cancer

1932;16:386-398

忘却の彼方より②

時代が早かったとか遅かったとか、そんなことはどうでも良いのさ。

引き続き時代は遡り、1890年、ゲッティンゲン、Dr. Hildebrandによる報告です。"Ueber das tubuläre Angiosarkom oder Endotheliom des Knochens."(骨の管状血管肉腫または内皮腫について)。本論文の冒頭では、AngiosarkomとEndotheliomの名称の用い方、定義について、これまでの文献を参考に整理されています。主題は、「管状」を示す血管肉腫あるいは内皮腫にあり、この様な腫瘍は非常に稀にしか見られないもので、通常は軟部組織に生じるのに対し、Dr. Hildebrandの経験した症例は骨に生じる、ほとんど知られていないものだったことが、本論文を発表した理由のようです。この中で紹介されている症例が以下です、

1889年6月中旬、45歳、男性農場主。前年の秋より、右上腕部に痛みを感じる。幼少期に起きた肘関節の骨折部に近い部位。12月、上腕下部に腫れが生じる。14日後、ちょっとした衝撃で自然骨折を起こす。腫瘍の表面は滑らかで、ある部位は骨のように硬く、またある部位はとても柔らかい。上腕骨肉腫の診断が下され、6月18日、麻酔下で断肢術。経過良好。7月8日退院。

肉眼所見、

腫瘍の大きさは子供の頭程あり、上腕骨中部から下部三分の一辺りで腫瘍が始まり、正常な骨とは明瞭に分離している。下部は、骨端を渡ってはいるが、関節部そのものは侵されていない。上腕骨関節の軟骨は正常。

腫瘍を正面方向から切断すると、中位にリンゴ大の空洞があり、凝固した血液とフィブリン繊維で占められているように見える。骨は、本来存在すべき部位が消失している。腫瘍壁は、骨膜と近傍の筋層から形成され、骨の板によって増強されている。

顕微鏡所見、

柔らかく半液体状の腫瘍部位では、血液状という予想に反し、多量の赤血球を含む中、腺房の横断面を思わせる構造である。しかし、これらは放射状に配置した柱状の細胞が(環状の)冠を形成しており、大きさはまちまちだが、顕著な内腔を取り囲んでいる。より詳細に観察すると、細胞は一部、より紡錘形を取っており、核はほぼ中心に位置している。本構造は、内腔に向かって、かなり明るい薄い膜で区切られている。細胞は膜に接っしており、周囲には固有膜のような境界がなく、腫瘍のいくつかの箇所では、これらの細胞に囲まれた内腔には、疑いなく多数の赤血球が含まれている。そのため、腺房横断面との類似性は完全に消え、血管から生じた腫瘍を想起しなければならなかった。

腫瘍の硬い部位では、おおよそ胞巣状構造を示し、外側壁から内側へ隔壁が伸びている。この構造は、横断あるいは縦断された血管からなり、密集した細胞のマントに覆われている。いくつかの部位では、この細胞マントに外側から、より円形の細胞塊が接続している。血管はたいてい長く伸び、分枝しており、この枝分かれ全てに細胞が沿っている。腔径は様々だが、たいてい毛細血管である。血管に沿った細胞は、柱状から紡錘形で、一部非常に大型で、また非常に大型の核を備えている。幾らかの部位では、血管周囲に冠状に配置している細胞が硝子変性しており、膨張したように、より円形となっている。原形質は一様に硝子状である。直接血管に付随していない部位では、細胞は紡錘形を失い、より円形となる。

顕微鏡所見では、腫瘍細胞が血管と密接に関連していると明確に記述されています。腫瘍細胞の形態に関しては、腫瘍細胞と非腫瘍性細胞の区別が明瞭ではないものの、血管周囲では、主に紡錘形を示すが、血管から離れるにつれ、より円形となるようです。

考察をまとめると、

正にこの、紡錘形細胞が、規則的に血管周囲に放射状に配置していることが、私には、腫瘍細胞が血管壁、特に血管周囲内皮由来である関連性を証明しているように思われるのである。

Dr. Hildebrandが指摘している紡錘形細胞が、果たして非腫瘍性の血管内皮細胞の増殖なのか、はたまた腫瘍細胞そのものなのか、確かめることはできませんが、Dr. Hildebrandは、紡錘形細胞の増殖が腫瘍細胞の本体であり,血管内皮がその由来であろうと考えています。また、

なぜ、血管周囲で、細胞がこのような特徴的な紡錘から柱状の形態をとり、放射状に配置しているのかは、推測しかできないが、増殖するのにより抵抗が少ないようになっているのだろう、と述べています。この部分は、偽ロゼットの形成メカニズムの推測と考えられますが、足がかりとなる根拠はなさそうです。

考察の中で、Dr. Hildebrandは、これまでの報告を検索した結果、本腫瘍と組織病理学的に類似性のある症例が、既に報告されていると述べています。この中には、前述のProf. Lückeの報告も含まれていますが、以下、その他の報告を数例、簡潔に取り上げます。

Billrothによる報告。中年の男性、脛骨下部、脈動する骨腫瘤、脛骨骨髄全体に浸潤し、一部骨吸収を起こしている。この中で、Dr. Billrothは、血管により形成された胞巣状構造を伴った円形細胞肉腫、と明記しています。また同様に、脈動し、組織病理学的に類似した腫瘍で、骨盤に生じた症例も経験したと記載されています。

Jafféによる報告。25歳男性、半年のうちに、左腸骨の腫瘍がこぶし大まで大きくなる。腫瘍は脈動し血流のような音が聞かれるので、電気穿刺を行うも効果なし。部分切除。死亡。肺、胸膜に多数の転移巣。腫瘍は顕微鏡的に、胞巣状構造をしており、大きな胞巣はそれぞれ、血管による繊細な編み目を受けている。この編み目の中身は、大きな円形細胞により形成されている。血管横断面では、細胞が血管周囲に、3から5列、冠状に配置しており、一列、二列目の冠は非常に緊密に血管壁と付着している。この様な腺房構造の他に、柱からひも状をした円形細胞の列が見られる。この中には明らかに赤血球を豊富に含んだ血管壁構造が見られる。ここでも、3、4列に、血管に並列した円形細胞が見られる。

Rustitzkyによる報告。47歳男性、約一年経過で、右側頭にこぶし大の脈動する腫瘍が生じる。病理解剖で、肋骨、胸骨、椎骨、上腕骨骨髄に転移が見つかる。顕微鏡的に、腫瘍細胞はリンパ肉腫様で、無色の赤血球に例えられる。毛細血管のみならず、より太い血管においても、この円形細胞が壁構造を形成している。

上で取り上げた3例は、「円形細胞」が腫瘍の本体であると明記されているものです。Dr. Hildebrandは、他に、他報告者による3例の症例を取り挙げていますが、それらは特に、腫瘍の「管状」構造を指摘するものです。上記3例で、円形細胞腫瘍あるいは円形細胞肉腫という語が登場してるものの、考察の中では、「円形」という腫瘍細胞の形態には、特に重点が置かれていないようです。Dr. Hildebrandは、あくまでも腫瘍細胞と血管との関連性、更に腫瘍の「管状」と血管形成という組織病理学的構造に興味を示しているように思われます。

Dr. Hildebrandによる本論文は、血管肉腫あるいは内皮腫の管状構造に着目した内容で、一見、ユーイング肉腫とは関連がなさそうに思われましたが、本論文報告の約30年後、Dr. Ewingが、彼の遭遇した肉腫が内皮由来であるかもしれないと考える根拠となる組織病理学的構造が、ここに記載されていました。更に、組織病理学的に類似した腫瘍に関する文献を参照することで、Prof. Lückeの報告を含め、Dr. Hildebrandによる報告以前にも、ユーイング肉腫を思わせる症例報告があったことが分かります。患者の年齢が比較的高いという点では、ユーイング肉腫の一般像に反するものの、臨床像、組織病理学的にユーイング肉腫に類似する報告が、19世紀中頃から後半にかけて、既に報告されていたという事実は驚くべきものです。Dr. Ewingも、Prof. LückeやDr. Hildebrandの論文を参照していたのでしょうか。

 

Hildebrand

"Ueber das tubuläre Angiosarkom oder Endotheliom des Knochens."

Deutsche Zeitschrift für Chirurgie

1890;31:263-281

忘却の彼方より①

一体何を探しているんだい?我らを振り返ってみたまえ。

時代は遡ります。1866年、ベルン、Prof. Dr. Albert Lückeによる論文です。"Beiträge zur Geschwulstlehre: IV Ueber Geschwülste mit hyaliner Degeneration."(腫瘍学への寄稿:四 硝子変性を伴う腫瘍について)。本論文では、Prof. Lückeがベルリン大学外科病院にいた頃経験した三例の症例報告が記載されていますが、二例目が以下です、

およそ40歳の未婚女性、右上腕の真ん中に長引く痛みを覚える。薬を投与されるも効果はなく、しばらく後、激しい腫れが生じるが、重きを置かず。1861年春、高い所にある物を取ろうとして手を伸ばした時、(自然)骨折する。骨の腫瘍の疑い。しばらくして、腫瘤の中で脈動する感覚を覚える。疑いなく腫瘍であるという診断はできず。腋窩動脈を圧迫すると、腕の1.5倍の幅があった腫瘤が多少小さくなる様子。触感は弾力性があり、腋窩腺は腫脹していない。1861年秋、von Langenbeck医師により関節離断の手術を受ける。傷は速やかに治る。再発は、1865年春まで現れなかった。

痛みが生じた後、腫れが起こる所は、前回紹介した、Dr. Ewingの記述と合致しています。彼女が、腫れに気をとめなかったのは、しばらく痛みと腫れが治まったせいなのでしょうか。負荷をかけた際、自然骨折する記述も、Dr. Ewingの最初の症例報告にありました。また、腫瘤の中の脈動と腋窩動脈圧迫で腫瘤が小さくなるという記載は、Dr. Ewingも言及していた、腫瘍の血流性によるものなのでしょう。

肉眼所見、

腫瘍は上腕骨骨幹を占めている。両骨端は不規則な周縁を持ち、腫瘍内に向かっている。腫瘍は赤褐色からバラ色、触感は柔らかい。中心部は大きな腔で占められており、褐色の濁った液体で満たされていて、不規則な形をしている。この液体は古い血液である。血液で満たされた小腔が多くの箇所で見られる。

骨幹が侵されている点は、ユーイング肉腫と共通点を持ちます。中心部の大きな穴や多くの小さな穴は、ユーイング肉腫の血洞と関連性があるのでしょうか。何れにせよ、この腫瘍が多くの血流を受けており、血流の一部は、この大腔で滞留していたのでしょう。

顕微鏡所見、

程度の差はあるが、繊維列の編み目細工を有しており、その上に毛細血管が走っている。その中に不規則な形をした構造体、それは多数の小細胞、あるいは硝子膜状のものに包まれた細胞から成っている。または、中心に硝子体、周縁に細胞が集まった構造である。腫瘍の主要な部位では、構造体は互いに密集し合い、結合組織の編み目細工の中に収まっており、コロイド様に変性した甲状腺の様相を呈している。

細胞が規則的に硝子体の周りに集まっている所では、複数の核を持った細胞間物質によって、小型の上皮を形成しているように見える。細胞が孤立して存在している場合、常に遊離したリンパ体様細胞である。

この顕微鏡所見には、有用な情報が含まれています。多くの細胞間物質があることは、Dr. Ewingの記述と異なる所ですが、小細胞が硝子体様の周囲に規則的に集まって、腺構造(甲状腺の様相、小型の上皮)を取っていること、これは、現在で言う所のロゼット形成を意味しているのかもしれません。また、腫瘍細胞は、リンパ球様(リンパ体様と記載されていますが)であることから、小型円形細胞というDr. Ewingの記述と合致します。

考察では、

腫瘍の発生場所と経過からすると、上腕骨骨幹の骨髄管から発生したと考えられる。上腕骨の骨膜は肥厚、変性しているが、ほぼ完全に保たれており、腫瘍の周りをカプセル状に包んでいる。この振る舞いは、骨の上皮性腫瘍では見られず、中心性骨肉腫では普通に見られるものだろう。

外見上、腺房構造に見えるものは、腫瘍の更なる成長段階では消失する。恐らく、腫瘍の母体、つまり骨髄に依存するのであろう。それ故、本腫瘍を肉腫、更に言えば、中心性骨肉腫に数えたい。臨床上、本腫瘍は、疑いなくここに帰属する。急速な成長、単純圧迫で引き起こされた骨吸収による骨組織の受動的消失、骨膜の保持、他臓器への侵食が見られないことが十分な根拠となる。

Prof. Lückeは、腫瘍の発生元は骨幹と考えており、また、骨髄管と記述しているので、本腫瘍が何らかの管組織由来であるとも推測していたのかもしれません。骨膜が腫瘍の周りを囲んでいるということは、この腫瘍が骨髄内部から、骨を浸潤して来たことを示唆しています。また、中心性骨肉腫では普通に見られる、という記述からすると、骨幹から生じる肉腫が、当時、それほど珍しいものではなかったことを意味していると考えられます。また、現在呼ばれる所のユーイング肉腫が、当時は中心性骨肉腫と呼称されていた可能性も想定できます。

腺房構造が腫瘍の成長段階によって消失する、という記述は、切片上、観察する部位によって、腫瘍が示す形態が異なっていたことを示唆していますが、このことを、Prof. Lückeは腫瘍の母体に依存する、つまり、腫瘍細胞が存在する「土壌」によって、腫瘍細胞は可塑的に、形態を変えるのだと表現していると解釈できます。結論として、それ故、形態は異なるものの、本腫瘍が肉腫であり、更に言えば、中心性骨肉腫だろうと述べていますが、これはあくまでも彼一個人の見解のようです。

本論文の本来の主題は、硝子変性を伴う腫瘍についてで、他の二症例を含めて、同じ硝子変性を伴う腫瘍であっても、組織像、臨床像は、実は大きく異なるのだということを指摘するものでした。しかし、二症例目で、骨幹から生じる小円形細胞腫瘍で、臨床像がユーイング肉腫に極めて近しいという、思いもよらない記述に遭遇しました。組織像が多少異なる所もあるので、本論文が、現在知られているユーイング肉腫の最初の記述であるとは、言い切ることはできませんが、ユーイング肉腫に類似する腫瘍の存在は、遅くとも1866年には記載されていたということです。

それにしても、当時、Prof. Lückeが、腫瘍に関して詳細に症例を記述し、柔軟に思考、考察していたことには、全く、脱帽するしかありません。

 

 

Albert Lücke

"Beiträge zur Geschwulstlehre: IV Ueber Geschwülste mit hyaliner Degeneration."

Virchows Archiv

1866;35:530-538