ユーイング肉腫

ユーイング肉腫について、原典を通して知るためのブログ

忘却の彼方より①

一体何を探しているんだい?我らを振り返ってみたまえ。

時代は遡ります。1866年、ベルン、Prof. Dr. Albert Lückeによる論文です。"Beiträge zur Geschwulstlehre: IV Ueber Geschwülste mit hyaliner Degeneration."(腫瘍学への寄稿:四 硝子変性を伴う腫瘍について)。本論文では、Prof. Lückeがベルリン大学外科病院にいた頃経験した三例の症例報告が記載されていますが、二例目が以下です、

およそ40歳の未婚女性、右上腕の真ん中に長引く痛みを覚える。薬を投与されるも効果はなく、しばらく後、激しい腫れが生じるが、重きを置かず。1861年春、高い所にある物を取ろうとして手を伸ばした時、(自然)骨折する。骨の腫瘍の疑い。しばらくして、腫瘤の中で脈動する感覚を覚える。疑いなく腫瘍であるという診断はできず。腋窩動脈を圧迫すると、腕の1.5倍の幅があった腫瘤が多少小さくなる様子。触感は弾力性があり、腋窩腺は腫脹していない。1861年秋、von Langenbeck医師により関節離断の手術を受ける。傷は速やかに治る。再発は、1865年春まで現れなかった。

痛みが生じた後、腫れが起こる所は、前回紹介した、Dr. Ewingの記述と合致しています。彼女が、腫れに気をとめなかったのは、しばらく痛みと腫れが治まったせいなのでしょうか。負荷をかけた際、自然骨折する記述も、Dr. Ewingの最初の症例報告にありました。また、腫瘤の中の脈動と腋窩動脈圧迫で腫瘤が小さくなるという記載は、Dr. Ewingも言及していた、腫瘍の血流性によるものなのでしょう。

肉眼所見、

腫瘍は上腕骨骨幹を占めている。両骨端は不規則な周縁を持ち、腫瘍内に向かっている。腫瘍は赤褐色からバラ色、触感は柔らかい。中心部は大きな腔で占められており、褐色の濁った液体で満たされていて、不規則な形をしている。この液体は古い血液である。血液で満たされた小腔が多くの箇所で見られる。

骨幹が侵されている点は、ユーイング肉腫と共通点を持ちます。中心部の大きな穴や多くの小さな穴は、ユーイング肉腫の血洞と関連性があるのでしょうか。何れにせよ、この腫瘍が多くの血流を受けており、血流の一部は、この大腔で滞留していたのでしょう。

顕微鏡所見、

程度の差はあるが、繊維列の編み目細工を有しており、その上に毛細血管が走っている。その中に不規則な形をした構造体、それは多数の小細胞、あるいは硝子膜状のものに包まれた細胞から成っている。または、中心に硝子体、周縁に細胞が集まった構造である。腫瘍の主要な部位では、構造体は互いに密集し合い、結合組織の編み目細工の中に収まっており、コロイド様に変性した甲状腺の様相を呈している。

細胞が規則的に硝子体の周りに集まっている所では、複数の核を持った細胞間物質によって、小型の上皮を形成しているように見える。細胞が孤立して存在している場合、常に遊離したリンパ体様細胞である。

この顕微鏡所見には、有用な情報が含まれています。多くの細胞間物質があることは、Dr. Ewingの記述と異なる所ですが、小細胞が硝子体様の周囲に規則的に集まって、腺構造(甲状腺の様相、小型の上皮)を取っていること、これは、現在で言う所のロゼット形成を意味しているのかもしれません。また、腫瘍細胞は、リンパ球様(リンパ体様と記載されていますが)であることから、小型円形細胞というDr. Ewingの記述と合致します。

考察では、

腫瘍の発生場所と経過からすると、上腕骨骨幹の骨髄管から発生したと考えられる。上腕骨の骨膜は肥厚、変性しているが、ほぼ完全に保たれており、腫瘍の周りをカプセル状に包んでいる。この振る舞いは、骨の上皮性腫瘍では見られず、中心性骨肉腫では普通に見られるものだろう。

外見上、腺房構造に見えるものは、腫瘍の更なる成長段階では消失する。恐らく、腫瘍の母体、つまり骨髄に依存するのであろう。それ故、本腫瘍を肉腫、更に言えば、中心性骨肉腫に数えたい。臨床上、本腫瘍は、疑いなくここに帰属する。急速な成長、単純圧迫で引き起こされた骨吸収による骨組織の受動的消失、骨膜の保持、他臓器への侵食が見られないことが十分な根拠となる。

Prof. Lückeは、腫瘍の発生元は骨幹と考えており、また、骨髄管と記述しているので、本腫瘍が何らかの管組織由来であるとも推測していたのかもしれません。骨膜が腫瘍の周りを囲んでいるということは、この腫瘍が骨髄内部から、骨を浸潤して来たことを示唆しています。また、中心性骨肉腫では普通に見られる、という記述からすると、骨幹から生じる肉腫が、当時、それほど珍しいものではなかったことを意味していると考えられます。また、現在呼ばれる所のユーイング肉腫が、当時は中心性骨肉腫と呼称されていた可能性も想定できます。

腺房構造が腫瘍の成長段階によって消失する、という記述は、切片上、観察する部位によって、腫瘍が示す形態が異なっていたことを示唆していますが、このことを、Prof. Lückeは腫瘍の母体に依存する、つまり、腫瘍細胞が存在する「土壌」によって、腫瘍細胞は可塑的に、形態を変えるのだと表現していると解釈できます。結論として、それ故、形態は異なるものの、本腫瘍が肉腫であり、更に言えば、中心性骨肉腫だろうと述べていますが、これはあくまでも彼一個人の見解のようです。

本論文の本来の主題は、硝子変性を伴う腫瘍についてで、他の二症例を含めて、同じ硝子変性を伴う腫瘍であっても、組織像、臨床像は、実は大きく異なるのだということを指摘するものでした。しかし、二症例目で、骨幹から生じる小円形細胞腫瘍で、臨床像がユーイング肉腫に極めて近しいという、思いもよらない記述に遭遇しました。組織像が多少異なる所もあるので、本論文が、現在知られているユーイング肉腫の最初の記述であるとは、言い切ることはできませんが、ユーイング肉腫に類似する腫瘍の存在は、遅くとも1866年には記載されていたということです。

それにしても、当時、Prof. Lückeが、腫瘍に関して詳細に症例を記述し、柔軟に思考、考察していたことには、全く、脱帽するしかありません。

 

 

Albert Lücke

"Beiträge zur Geschwulstlehre: IV Ueber Geschwülste mit hyaliner Degeneration."

Virchows Archiv

1866;35:530-538