ユーイング肉腫

ユーイング肉腫について、原典を通して知るためのブログ

ユーイングの肉腫

確信があるかどうかは、君自身にしか分からないものさ。

1924年、Dr. Ewingは、前回と同じ専門雑誌に、更なる報告を重ねます。"FURTHER REPORT ON ENDOTHELIAL MYELOMA OF BONE"(骨の内皮性骨髄腫に関する更なる報告)。前回の論文で使われていた、Endothelioma(内皮腫)からendothelial Myeloma(内皮性骨髄腫)と名称が変更されているのは、主に骨髄から生じる腫瘍なので、と本論文の冒頭で説明されています。前回の発表以来、更に約30症例を診察し、やはりこの腫瘍が、臨床的、解剖学的に特異性のある腫瘍であると結論に至ったことが、報告理由のようです。この報告により、本腫瘍の全体像が見えてきます。

まず、本腫瘍の臨床像がまとめられています、

多くの場合14歳で発症するが、それよりずっと後に、あるいは少し早く発症することもある。骨髄炎を思わせる症状から始まり、最初の熱性障害により、決まって骨髄炎と診断される。最初の発症は、数日から二週間程度で治まり、次の発症が起きるまでの数週間は、異変はない。その後、発症する間隔がより短く、症状はよりひどくなり、やがて、この症状が、ある骨に起きている障害から来ていることが、分かるようになる。この時点から、腫れや骨の腫脹が顕著となる。特徴的なのは、それに伴う発熱で、かなり高熱になることもある。骨の腫脹は突発的に生じ、重度の充血、炎症性障害を伴うが、しばらくの間、治まる傾向にある。この発症が続いていくと、症状の鎮静化はより弱まっていき、最後に腫瘍の存在が確認されるのである。患者は、最終的に多発性腫瘍により死亡する。腫瘍は、ほとんどの場合、頭骨、四肢に起こるが、時に椎骨、肋骨のこともある。肺への転移も起こる。

前回の報告では、腫瘍は孤在性で、転移は生じないと記述されていましたが、ここでは、腫瘍の多発性、肺転移の記述が見られます。前回の報告以来、Dr. Ewingが長期の経過観察を行ってきたためでしょう。

解剖学的特徴、

腫瘍は四肢の小骨に生じる傾向にある。骨形成性肉腫とは異なり、骨端ではなく、骨幹に生じ、決定的なのは骨幹が幅広く侵されることである。腫瘍は骨膜を浸潤し骨幹を広げるので、相当な腫瘍が軟部組織で成長する。骨形成は、初期、末期においても起きない。

組織像、

組織像は解釈が非常に困難で、4年前に本腫瘍が内皮性であると記述することには、かなりためらいがあった、

と正直に告白しています。更に、Dr. Ewingは、

まだこの腫瘍が内皮性の分類に当てはまると感じているが、この「内皮」という解釈を広げなければ、この腫瘍グループを内皮性であると言うことはできないかもしれない、

とかなり自重する形で述べています。ただし、この腫瘍が血液や血管内皮に由来するとは考えていないとも述べています。後述するリンパ性管周囲の内皮由来であろう、というのが彼の見解です。

また、内皮腫の診断は厳密でなければならず、

腫瘍細胞は、細胞間基質のないシート状を示し、通常小さく、細胞核は小型で小胞状。腫瘍細胞は、大小ある血洞を囲み、その中には未変性で循環しているように見える血液が見出される。

この記述が、Dr. Ewingの考える、内皮腫の診断基準ということです。

治療特性に関し、本論文でも、本腫瘍を骨形成性肉腫と切り離す動機となったのは、放射線に対する反応性であると言っています、

初めは、腫瘍の縮退が永続すると希望を持ったが、残念ながら、概して再発してしまうものと報告しなければならない。残存した腫瘍が放射線抵抗性となり、患者の大多数は、原発腫瘍の再発と身体の他の部位への進展により死亡する。

続けて、本腫瘍の診断に関し、注意喚起をしています、

同僚医師たちが本腫瘍の診断を下そうとしてくれているのは、いくらか喜ばしいことである一方、それらの診断の多くは、私には受け入れがたい。内皮の特徴を示さず、解剖学的、臨床歴ともに、非典型的だからである。小型紡錘形細胞や円形細胞型の未分化型骨形成性肉腫を、このグループに含めてはならない。これは、骨芽細胞が起源だからである。本腫瘍と形質細胞性骨髄腫との関連は未解決である。

本腫瘍の多発性についての彼の考察です、

もう一点、かなり重要なことは、本腫瘍の播種の仕方である。ほぼ全ての症例で、骨の多発性腫瘍が死因となっている。文献上確認できる、骨の内皮腫は大半が多発性であるが、これらは全て、胞巣性、のう胞性、あるいは血管性内皮腫であった。

これらの内皮腫に関しては、前回の報告で、主に大人に生じることが言及されています。更に、

多発性腫瘍が転移なのか、複数の原発腫瘍なのか判断するのは非常に困難である。結論に至ることはできないでいるが、病期の後半に、非常に広範囲に腫瘍が播種すること、他の臓器が比較的侵されないことから、私は、骨格全体に波及した、多発性原発腫瘍だと思う。この点は治療上非常に重要で、もし、多発性原発腫瘍の場合、断肢することはほとんど目的に叶わない。もしこれらが転移だった場合、早期の断肢、原発腫瘍を積極的に治療することは全く理に叶ったものである。症例を見る限り、断肢術を行うも、大多数の患者で、多発性の腫瘍を生じている。

まだ最終結論ではないものの、腫瘍の多発性は、原発腫瘍が身体の骨全体から、複数発生するためだという彼の見解は、現在のものと異なっています。

腫瘍の起源については、ある症例で、

最初期の病変部では、血洞付近に小数の腫瘍細胞が集まっているように見える。切片上においても、これら細胞の本性、起源を決定することは困難だが、腫瘍細胞はリンパ管腔周囲に存在しており、管周囲の内皮に由来しているように見える。あるいは、腫瘍細胞がリンパ管に沿って伸長しているものか。これが腫瘍の起源を明らかにしている可能性はある。

Dr. Ewing自身も、本腫瘍の起源がどこにあるのか確信はないが、リンパ管周囲の内皮由来ではないかと推測しています。

結論として、

私は、本腫瘍が、骨の特異的腫瘍であるという意見に変わりはない。腫瘍の起源、本性に関する証拠がない以上、endothelial Myeloma(内皮性骨髄腫)という名称を使うのが最適と思われる。放射線治療のみでは、おそらく大部分は制御できないだろうが、いくつかのケースでは制御できているように思われる。またいくらかは、局所切除と放射線治療で制御できるようだ。現時点では、放射線療法を繰り返し、経過観察、明らかな再発が見られた場合、局所切除か断肢が推奨されるだろう。本腫瘍の発症原因は不明だが、おそらく何らかの感染過程が関わっている(病初期の発熱期間を踏まえて)。全症例に関して、十分な統計的報告ができるほどには至っていない、

とまとめています。前回の報告を進展させ、依然、本腫瘍の起源、本性は不明のものの、臨床像を明確に記述し、更に治療法の提唱を行っています。

 本論文発表後、1925年、Dr. Ernest Amory Codman により、Dr. Ewingの報告した、骨肉腫とは異なる、骨特有の内皮性骨髄腫は、ユーイングの肉腫(Ewing's Sarcoma)と表号され、以降この名称が全世界、今に至るまで使用されていくのです。

 

James Ewing

"FURTHER REPORT ON ENDOTHELIAL MYELOMA OF BONE"

Proceedings of the New York Pathological Society

1924;24;93-101

 

 

名前はまだない

網にしろアンテナにしろ意地にしろ、ただ張っていれば良いというわけではないのさ。

1921年、アメリカ、ニューヨーク市。奇しくも(?)Dr. Stoutによりなされた発表と同じ地、同じ専門雑誌に、その論文は報告されました。"DIFFUSE ENDOTHELIOMA OF BONE" (骨のびまん性内皮腫)。Dr. Ewingは、論文の冒頭で、骨形成性肉腫とも骨髄腫とも異なり、起源も本性も分からない、円形細胞肉腫という曖昧な言葉でしか定義できない骨腫瘍に遭遇したと述べています。続いて、一件の症例報告がなされます。

14歳の少女。1918年、先天性梅毒の疑いがあり、かかりつけの医者でサルヴァルサンを処方される。同年11月、ロープを引いている際に、尺骨が自然骨折し、その後腫れが生じるが、徐々におさまる。1919年1月、痛みが再燃。前腕に大きさの変動する腫瘍が生じる。骨形成性肉腫と診断され、八回、コリーの毒を注射されるも、著明な効果無し。4月12日、ラジウムパックを用いた放射線治療。その後、二週毎に、更に二回の放射線治療を受ける。腫瘍は一度に縮退し、5週目の終わりには腫れが見られなくなる。

レントゲン画像では、骨幹病変部の輪郭が滑らかであること、骨形成が見られず、骨の穿孔や侵食も見られないことは骨形成性肉腫に反している。ラジウムを用いた放射線治療に即反応することも、骨形成性肉腫に関する我々の経験と極めて異なっている、とDr. Ewingは述べています。

更に、

もとの医者は、前腕(とう骨)の腫瘍を梅毒のためだとみなし、サルヴァルサンを用いた強力な治療を行うが、重い毒性症状を示す。同時に、腫瘍の再発が疑われる。尿中Bence-Jones蛋白陰性。1920年10月、腫瘍の明確な再発。診断に関する意見の相違があったため、組織生検が行われ、円形細胞の増殖が確認される。頭骨に更なる腫瘍が確認される。レントゲン画像では、肺転移は確認されず。その後、貧血、悪液質が急速に進行。1920年12月23日死去。全期間約30ヶ月。

Dr. Ewingは、過去4ヶ月の間に、他に6人、同じ腫瘍にかかった患者を診察し、何れも14歳から19歳の間に生じていると指摘。病変骨は脛骨、尺骨、坐骨、頭頂骨、肩甲骨。腫瘍の進行はむしろ遅い方で、注意を惹くのに数ヶ月を要するが、痛みや機能不全を伴う。患者であったある少年は、夏の間、運動後の断続的な痛みを訴えるのみだったが、11月、脚の上半部に滑らかな腫れが生じた。腫瘍の何例かでは、大きさが変動し、これは腫瘍内の血流によるものである。見られた症例では、全て痛みを伴い、触感は柔らかであった、と詳述しています。

レントゲン画像の所見では、骨幹に生じていること、骨端は概して侵されておらず、これは骨形成性肉腫の診断ルールに反すること、骨幹は僅かに拡張するが、主な変化はびまん性に広がる、骨構造のゆるやかな衰退であること、骨産生は全く見られず、病変のいくつかは蜂巣状に見られること、骨穿孔に欠き、良性巨細胞性腫瘍に見られる骨膜の肥大と中心性穴抜き像は見られないことから、レントゲン画像所見はかなり特異的である、と述べています。

7件の症例で得られた顕微鏡所見では、構造はほぼ同一で、淡い細胞質を持つ多面性小細胞のシートから成り、過色素性の小型核、細胞境界は明瞭で、細胞間物質は全く存在しない。どの症例でも、肺転移あるいは他部位への転移は見られなかった、と報告しています。

Dr. Ewingは、細胞の形態、特に、幅広いシートを形成する多面性の腫瘍細胞と、細胞間基質が見られないことから、この腫瘍が内皮由来であると推測しています。彼は、ある症例で、腫瘍細胞が未変性赤血球を囲む微細な管を形成するように配置されているのを観察し、内皮性腫瘍であることに強い確信を持ったようです。

以下、彼の考察です。

正確な発生源は不明であるものの、早期に骨の希薄化が見られることからすると、骨組織の血管から生じたと考えられる。ただし、早期あるいは同時期の、骨髄内の管組織の関与も排除できない。骨髄内の特有な細胞に由来する腫瘍に骨髄腫(Myeloma)という名が適用されるので、骨髄腫(Myeloma)ではなく、内皮腫(Endothelioma)という名称が良いだろう。

内皮性腫瘍と形質細胞または多発性骨髄腫との関連性は一考に値するが、今回の症例では、切片上に形質細胞は見られず、Bense-Jones蛋白も検出されていないこと、多発性骨髄腫では、急速に骨穿孔を生じ、骨を完全に破壊するのに対し、本症例の腫瘍はゆっくりとびまん性に骨の希薄化が生じることから、二者は別の過程を持つと示唆される。

この腫瘍と血管内皮腫あるいは他の内皮腫との関連はあると推測されるが、これらの腫瘍は、文献上確認される限り、ほとんどの場合、大人に生じ、明らかに内皮腫と認識できるのに対し、本症例は、全て子供に生じており、一例を除いて弧在性であった。

結論として、

主要な点は、若年者によく見られる腫瘍で、一般に骨形成性肉腫と同一視され、円形細胞肉腫と呼称されているが、実際は内皮由来であり、特有の解剖学的、臨床的、治療反応性の特徴を備えている、骨由来の特異的な腫瘍疾患が存在する、

と注意喚起をしています。

結論部の、「若年期に見られるが、骨肉腫(骨形成性肉腫)とは病理学的にも臨床的にも異なる、別の腫瘍である」こと、特に臨床学的に、「骨肉腫に反して放射線治療に良く反応する」ことは、偏に、Dr. Ewingの慧眼と腫瘍学に関する広範な知識があったからこそ指摘できたものでしょう。

特に、本腫瘍が放射線治療に良く反応することは、臨床学的に極めて重要だったようです。当時、一様に骨肉腫と考えられてきた腫瘍に対する治療は、断肢術しかないと考えられていたからです。

 

James Ewing

"DIFFUSE ENDOTHELIOMA OF BONE"

Proceedings of the New York Pathological Society

1921;21:17-24

始まりは静かに

大切なのは、知りたい人に伝えるということなんだよ。まずは書くことさ。たとえ今は、知りたい人がいないとしてもね。

1918年、アメリカ、ニューヨーク市。Dr. Arthur Purdy Stoutにより、簡素なタイトルを冠する一本の論文が発表されました。"A TUMOR OF THE ULNAR NERVE"(尺骨神経の一腫瘍)。42歳の男性イタリア人労働者に生じた腫瘍に関する症例報告です。

患者の主訴は右腕にできたしこり。受診9ヶ月前、右手小指にしびれを感じる。その後直ぐに、右前腕内側に硬い腫れが生じる。1ヶ月半後、時々激痛を伴うしこりが右脇に生じる。入院2ヶ月前、前腕のしこりに切れ目ができる。その後、前腕と右脇のしこりは急速に増大し、痛みもひどくなる。1917年11月20日、Dr. A. V. S. Lambert執刀による肩甲骨胸部間前腕切除。術創の治りは早く、1917年12月7日に退院。術後17日、首に不明瞭なしこりが感じられる。再発と思われる。

顕微鏡所見。小型円形、比較的均一な大きさの腫瘍細胞。細胞分裂多数、ロゼット形成、結合組織の柱状構造。

一見、肉腫のようだが、顕微鏡所見では、網膜芽細胞腫、三叉神経節腫瘍に類似し、神経鞘細胞由来の腫瘍と示唆される、とまとめています。

Dr. Stoutがこの報告を行った動機の一つに、当時、末梢神経由来の腫瘍に関する報告が非常に少なかったことがあるようです。しかし何とも興味深いのは、Dr. Stoutが、この新規性のある腫瘍に特別な名前を付けることなく、どことなく控えめな姿勢を取っているように感じられることです。

1942年、本論文発表後24年を経て、Dr. Stoutは、Dr. Margaret R. Murrayと共に発表した論文の中で初めて、"Neuroepithelioma"と言う名を登場させるのです。ユーイング肉腫にまつわる波瀾を、彼は既に予期していたのでしょうか?

 

Arthur Purdy Stout

"A TUMOR OF THE ULNAR NERVE"

Proceedings of the New York Pathological Society

1918;12:2-12